名古屋高等裁判所 平成元年(ネ)342号 判決 1990年10月31日
控訴人 牧野一郎 外三名
右四名訴訟代理人弁護士 加藤猛
被控訴人 日本赤十字社
右代表者社長 山本正淑
右訴訟代理人弁護士 成田清
主文
本件各控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
一 当事者の求めた裁判
(控訴人ら)
原判決を取り消す。
被控訴人は控訴人一郎に対し金二四二六万円、同美雪、同勇、同千明に対し各金八〇八万円宛及びこれらに対する昭和五九年七月二一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
仮執行の宣言
(被控訴人)
主文同旨
二 当事者の主張
当事者双方の主張は、次に付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決二枚目裏一行目の末尾の「五八」を「五〇」と、同五行目の「牧野千明」を「石田千明」とそれぞれ改める。
同七枚目表八行目と同行から九行目にかけての各「五一五万五四一九」を「五一五万五四五九」とそれぞれ改める。
2 当事者の付加した主張
(控訴人ら)
医師が患者の病気の内容、治療方法・効果を説明する相手・時期・内容・程度を、患者の病状などに応じて、医師の自由な判断に委ねることは、医師が患者との診療契約に基づいて負担する説明義務、すなわち、患者あるいはその家族に対し病気の内容、治療方法・効果を具体的に説明すべき義務を空洞化し、患者の治療に関する自己決定権の行使を侵害し、誤らせるものというべきである。
そして、患者の病気が不治ないし難治疾患であればあるほど、患者の治療に関する自己決定の必要性も増大するものであるから、同決定をなす前提として医師の説明義務の履行も重要となるものというべきである。
患者に病状を説明することによって、精神的な打撃を与え、治療に影響を与える虞があるとしても、それは、説明義務を履行したのちのケアの問題であって、同義務の履行とは区別して考えるべきものである。
なお、請求原因3(一)で使用した「診断」という言葉は、極く通常の「医師が患者を診察して、どういう病気かを判断すること」であって、病気の進行の程度や手術の可否の判断までを含む言葉ではない。そういう意味で、昭和五八年三月二日の時点において、折戸医師は、和子の病気を胆のう癌であると診断した。
(被控訴人)
医師の癌患者に対する説明義務のあり方は、医学専門家の間においても見解が別れており、未だ定説は確立していない。
また、癌告知の是非は、臨床の場においても癌の種類・部位・進行度・治療方針、患者の家族関係・社会的立場などを考慮しながら、医師が各患者ごとにその心理的影響を充分に配慮して決しているのであって、医師の裁量に委ねられるべきものである。とりわけ「癌の疑い」の段階においては、未だ癌か否か、癌であるとしてもその進行度も明らかになっておらず、したがって、治療方針も立っていない段階であるから、告知の是非についてはより一層慎重な配慮を要するものである。
三 証拠<略>
理由
当裁判所も、控訴人らの本訴請求はいずれも失当として棄却すべきものと判断するところ、その理由は、次に付加、訂正するほか、原判決理由説示と同一であるから、これを引用する。
原判決一三枚目表三行目の「胆石」の次に「症」を加え、同四行目の「二八日」を「下旬」と改める。
同一六枚目裏九行目の「特に」から同末行冒頭の「とから」までを削る。
同一八枚目裏一〇行目の「Tチューブをドレナージする」を「Tチューブドレナージ術を施す」と改める。
同一九枚目表七行目から同八行目にかけての「ロキスタスキーアショップ」を「ロキタンスキーアショッフ」と改める。
同二〇枚目表七行目の「ところで、」を削る。
同裏三行目の「患者が」から同四行目の「ことから、」までを削り、同五行目冒頭の「できるが、」を「できる。」と改め、同行の「医師が」から同末行までを削り、行を改めて、次のとおり加える。
「次に<証拠略>弁論の全趣旨を十分に考慮した上、本事件の判断に必要な限りで、癌という病名の告知について当裁判所の考えるところを、次に述べることとする。
近い将来死に至る不治の病と一般に認識されている疾病(癌の少なくとも相当部分は、一般に現在もそのように認識されている。)においては、病名や病状の告知をすることは、患者に甚だしい精神的打撃・動揺を与え、患者の病気に対処する態度などにも悪影響を及ぼし、そのような告知を受けなかった場合に比べて、適切な医療の遂行を妨げる結果を招く場合のあることは否定できないものと考えられる。しかし、他方、正確な病名と病状とを告知することによって、患者が自己の置かれている立場を正しく認識し、医師と患者との信頼関係に基づいて真実の病気に真に適した医療の実施が可能となるのみならず、来るべき死に備えて最後の残された命を患者自身の最善と信ずることに生かすことが可能となる場合もあると考えられる。正確な病名を告知することによって、その後の事態が以上に述べた場合も含めてどのように展開していくかについては、医師と患者の置かれたすべての状況、なかんずく、患者の病状、意思・精神状態、受容能力、医師と患者との信頼関係の有無程度、患者の家族の協力態勢の有無程度などの事情が、大きな関係を持っているものと考えられる。
このような諸般の状況についての適切な判断は、最終的には医療の専門家である医師の判断によるところが大きく、その合理的裁量は尊重されなければならない。しかし、他方、すべての情報を正しく知った上での患者自身の決断の方がより尊重されなければならない場合もあるものと考えられる。もとより、病名を告知するのが相当であるような場合においても、その時期、告知の直接の相手方、告知の内容・態様、程度などについては、十分に慎重な配慮が必要とされるところである。以上のすべての状況を十分に考慮した上で、たとえ癌という重い病気の病名の告知についてであっても、その不告知又は告知の態様が医師の合理的裁量の範囲を逸脱し、法的説明義務の不履行と評価される場合のあることは認められなければならない。そして、このような点についての考え方は、時代によっても相当程度の差異があり、医師、一般人を含む社会全体の意識が我が国では現在もなお流動的で変化の途上にあることにも留意をしなければならない。こうした社会的意識がそのまま法的判断の内容を形成するものでないことは当然であるが、さりとて法的判断がそうした社会的意識と全く無縁であるというのも相当であるとは思われない。少なくとも医師の法的説明義務という観点から考える限りは、ある時代においてもその当時の大多数の医師が相当であると考えていた考え方に従って、この説明義務の履行をした場合においては、たとえその後の社会的意識の変化を前提として見るときは、その履行の仕方が不相当と考えられるような場合においても、特段の事情のない限り、これをもって違法とまでいうことは困難であると考えられる。
因に、<証拠略>によれば、癌告知に積極的な姿勢を採る慶応義塾大学医学部講師で主として癌に対する放射線治療を担当する近藤誠医師においても、治療効果の期待できない(治らない)ことが予想される癌の患者に対する病名の告知については、当初最低限度『悪いものの可能性があります。』と告げたのち、その後の経過をみながら段階を踏んで、その後に『やっぱり悪いものである。』というように告知する方法を採っており(但し、末期状態にある患者に対しては当初から『悪いものである。』と告げている。)、しかも、その告知にあたって癌という言葉を使うことはある(なるべく、一回は使うようにしている)ものの、同医師自身においても患者にその言葉を告げることにためらいを持っていることに加えて、同言葉が患者に与える影響も考慮し、それを使用した場合には『腫瘍』あるいは『悪いもの』などと言い換えていること、昭和五八年当時は癌については、病名を告げるに当たっては真実の病名である癌とは異なった病名を告げるというやり方が医師の間で一般的であったこと、近藤誠医師自身が折戸医師と同じ立場に当時あったとしたら、近藤誠医師自身も折戸医師が本件においてしたのと同様な言い方を和子にしたであろうことが認められる。
以上の考え方の下に、本件の具体的場合についての判断を次に示すことにする。」
同二一枚目表三行目の「エコー」から同七行目末尾までを「未だ、精密な検査・診断をなしたうえ、胆のう癌か否かの確定診断をなし、治療方針を決定する必要があるものと判断していた段階であったことは明らかであるから、右確定診断をしたことを前提とすると理解される控訴人の主張は理由がない。控訴人が当審において主張するような「診断」を折戸医師がしたことを前提とするならば、それは、『胆のう癌の強い疑い』を持ったということなのであるから、その点については、次の(二)についての判示で明らかにすることにする。」と改める。
同表末行の「疑いが強く、」の次に「早急に精密な検査・診断をなし、治療方針を決定するため、」を加える。
同二一枚目裏八行目の「不良であり」から同二四枚目表六行目までを次のとおり改める。
「不良であることが予測されたにかかわらず、同医師は和子に前記二項2(五)認定のとおりの事項を告げて入院を強く勧めたにすぎないことは明らかである。しかし、同二項認定の事実に<証拠略>を総合すると、折戸医師と和子とは昭和五八年三月二日初めて被控訴人病院で対面し、言葉を交わしたに過ぎない関係であって、同医師においては和子の職業・家庭環境はもちろん性格なども不明の状態であったこと、和子においても同医師と面談した時点では、特段の自覚症状もなく、一〇日後に海外旅行を控えていたこともあって、同医師に早急に入院するよう勧告されたにもかかわらず、その必要性につき更に説明を求めることもなく、強い口調で、直ちに入院できない旨告げて入院を拒み、その後の同医師の入院を強く勧める説得に対しても、海外旅行を控えていること、仕事の都合がつかないこと、家庭の事情が入院を許さないことなどを理由に頑なに入院を拒み、同医師の仕事の都合もつけ、家族ともよく相談したうえで入院できる態勢を整えるようにとの説得に対しても、容易に被控訴人病院での治療に協力する態度を示さなかったこと<証拠略>に照らすと、和子は、当時、海外旅行を控えてその実現を強く望み、それを阻害する事態を受け入れることを強く拒んでいたことが窮われる。)、したがって、当時、同医師と和子との関係は、未だ、癌ということが和子に分かるような形で病名を告知してよいだけの信頼関係が生まれるまでには至っていなかったことが認められ、これら事実に前記二項の事実及び三項1の判示を併せ考えると、昭和五八年三月二日当時、折戸医師においては、認識し得た和子の病状、すなわち、疑いの域を出ないとはいえ、予後の悪い胆のうの進行癌の可能性がある旨告げることが和子にどのような精神的・身体的打撃を与えるか、和子が同医師の病状説明を正しく理解しうる状態にあるか否か、治療に対し家族の協力が得られるか否かなどを予測し得ない状況にあったというべきである。このような状況のもとで、ともかくも、和子に精神的動揺を与えることなく早急に入院を決断させ、諸検査を実施して病状を確認し、治療方針を決定する必要があったこと(この必要のあったことは前記二項の認定事実よりみて明らかであり、診療契約上の義務でもある。)から、死期も近い不治の病であることを悟られて精神的動揺を与えることとなる虞れも少ないと思われる胆石症との病名を選びながらも、胆のうも変形していて入院・手術が必要である旨告げて、重度の状態にあることを説明しながら入院を勧めたことは、その時点においては妥当な措置であって、説明義務の履行に欠けることはなかったものというべきである。また、前記の説明を前提とする限りは、和子の前記態度よりみて、家族関係及びその状況などを尋ねたとしても正確に聞き出すことは困難であったと思われ、したがって、和子に被控訴人病院に家族を同伴するよう求めたとしても、その実現を期待することは困難な状況で(因に、<証拠略>に照らすと、和子は、控訴人一郎に対し被控訴人病院で胆石の手術を勧められた旨告げたのみで、折戸医師との前記対話内容については何ら告げることなく、また、その後被控訴人病院の医師から海外旅行についても許可を得た旨告げていたことが認められる。)、かつ、電話による家族への連絡が相当かについても疑問がある状況にあったものというべきである。他に以上の各判示を左右するに足る証拠はない。
以上判示のとおりであって、本件で折戸医師が和子に対して取った判示の行為に法的に責められるべき点があるとは考えられない(なお、少なくとも、昭和五八年当時の我が国においては、既に判示したように、本件のような状況の下では、医師が当時の折戸医師と同様の立場に置かれたとすれば、その大多数の者が折戸医師と同様に「胆のう癌の疑い」がある旨を入院前の和子に告知することはなかったものと考えられ、こうした点に関し、現在の多様な考え方のうちの一つを前提として、折戸医師の当時の行為を法的に問責することも相当ではない。)。」
同表七行目の「他に主張、立証がない以上、」を削る。
よって、右と同旨の原判決は相当であるから、控訴人らの本件各控訴を失当として棄却し、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤滋夫 裁判官 宮本増 裁判官 谷口伸夫)